2020年9月16日

気候変動とコロナ禍が見せる 安い食の代償とは

北海道大学大学院 市村敏伸

エシカルな食について、いま世界ではどのような話題が上がっているのでしょうか。
一橋大学在学中で、佳い食のあり方を探究する市村敏伸が、海外のエシカルニュースをテーマごとにブリーフィングしてお届けします。今回のテーマは「気候変動とコロナ禍が見せる 安い食の代償とは」。日本にも深刻な影響を与えている気候変動とコロナ禍、その裏では現代社会が依存する安価な食を提供するシステムの綻びが、食の現場での人権問題という形で次々と明るみに出ています。
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気候変動やコロナ禍に見る
食の世界に潜む根深い課題とは

本記事を執筆している914日現在、米国では、北西部で拡大する森林火災が大きく報道されています。米紙・ニューヨークタイムズによると、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州の3つの州で大規模な森林火災がいまなお拡大しており、そのうち最大規模といわれるカリフォルニア州北部での"August Complex"(※火災の名称)は817日に発生が確認され、これまでに約2000㎢に延焼。これは大阪府の面積に相当する部分に燃え広がった計算です。アメリカでは今年に入り、すでに12000㎢以上にわたって森林火災が発生しており、過去最悪と言われた2018年の記録を更新。森林火災の大規模化の背景として指摘されているのが、気候変動による気温の上昇と、それに伴う空気の乾燥です。

世界各地で相次ぐ気候変動による被害の拡大では、しばしばその原因や対策に注目が集まりますが、同時に見逃せないのが、社会的格差の実態が気候変動によって露呈しているという現象です。米紙・ワシントンポストは今年6「気候変動は人種問題」と題するコラムをウェブに掲載。米国での複数の研究を引用し、気候変動による大気汚染や海水面の上昇、あるいは気温上昇によって最も被害を受けるのは、住宅環境などが貧弱な社会的弱者である黒人をはじめとしたマイノリティ層であり、人種格差の実態が気候変動による被害の大きさにも影響を与えていると解説します。気候変動による被害と社会的格差を紐付ける論調は昨今、米国を中心に広く見られ、同様の相関はコロナ禍においても注目を集めています。
「エシカルはおいしい!!」では英誌『エシカル・コンシューマー』主筆のロブ・ハリスン氏が論じるように、米国では新型コロナウィルス感染症によるアフリカ系アメリカ人の死亡率が白人の3倍にも上ったことが指摘されており、社会的格差がコロナ禍での被害の大きさにもつながっていることが広く知られています。

一方、食の世界でも、気候変動やコロナ禍によって、図らずも現代のサプライチェーンが抱える深刻な欠陥が露呈します。それは、"安い食"の生産を支える現場の労働環境や労働者の人権の実態。安価な食が提供される裏では、どのような代償が払われているのか。そして、その代償を払わされるのは一体誰なのか。アメリカやヨーロッパ各国では、気候変動やコロナ禍を通じた、食の人権問題への関心が高まりを見せています。

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過酷な環境のなか
"安い食"を支える労働者

米紙・ニューヨークタイムズは8月、「暑さと煙、コロナがアメリカを"養う"労働者を襲う」と題した社説(有料記事)を掲載。カリフォルニア州中部のサン・ホアキン・バレーのトウモロコシ農場で働く労働者への取材から、気候変動によって過酷さを増す農作業現場の実態が明らかとなりました。カリフォルニアでは相次ぐ森林火災によって大気中に煙が充満し、州政府などは住民に対して屋内に止まるよう呼びかけています。しかし、農場では十分な対策がとられないまま、高い気温のなかトウモロコシの収穫作業をはじめとした農作業が続けられていると記事は指摘します。

農場労働者の多くはメキシコなどからの移民労働者で、賃金は州規定の最低賃金、さらに健康保険にも未加入のケースがほとんど。取材に応じた三人の子供を持つ女性は「(危険な環境でも)私たちは働かなくてはいけないの、屋外で働かないと稼げないのだから」と話し、生活に困窮した移民をはじめとした人々に依存する農作業現場の実態を記事は強調します。また、米国農業労働者組合はこうした実態の背景について、「安い食べ物の値段が原因」とコメント。気候変動が、安価な食を支える労働者の人権問題を一層悪化させていると記事は指摘しています。

気候変動だけでなく、コロナ禍もまた、世界各地の安価な食品の供給を支える労働者の人権状況を明らかとしました。ヨーロッパの大手メディア・ユーロニュースは、特集「目に見えない労働者:農場での低賃金・搾取・危険」で、「コロナの感染拡大によって、我々の食を支える人々が突如として"可視化"された」と指摘。欧州では、感染拡大防止のためヒトの移動が制限された結果、これまで東欧やアフリカからの移民労働者に依存していた農業現場で深刻な人手不足が発生、野菜や果物などの収穫に深刻な影響が生じました。これにより、これまで明らかにされていなかった移民労働者の実態が広く知られることとなり、同時に移民労働者の人権問題への関心が高まります。

ユーロニュースによると、イチゴの産地として知られるスペイン南部のウエルバでは、多くの農場労働者が不法移民で、「チャボーラ(掘建て小屋)」と呼ばれる、段ボールやビニールハウスの残骸などで組み立てた小屋での生活を強いられています。チャボーラには電気はおろか、水道設備もなく、衛生環境は深刻な状況。さらに、コロナ禍においてもマスクなどの防護具は一切支給されず、多くの労働者が賃金の不払いに不満を募らせているといいます。収穫ノルマを達成できなかった労働者に対して、罰則として数日間、無給での"チャボーラ待機"を課すことが横行しているとされ、現地労働者への人権侵害は深刻な事態にあります。

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深刻な食の人権問題
その代償は何か

欧米各地で次々と明らかになる食に関わる人々の人権問題。深刻な倫理的問題であることに疑いの余地はありませんが、こうした問題は食の安全や、食品供給の安定性に大きな影響を及ぼします。本連載でもその状況をレポートしてきたように、欧米の食肉サプライチェーンは、まさしく生産現場での人権状態が遠因となり機能不全に陥ります。200人以上の従業員が新型コロナウィルスに感染し操業停止に追い込まれたドイツの食肉加工場では、東欧などからの移民労働者が狭い住居での集団生活を強いられていたことが明らかとなり、その生活環境や労働環境の実態がドイツ国内のみならず日本を含めた各国で広く報道されました。

カナダ・ウォータールー大学で食糧安全保障を研究するジェニファー・クラップ教授は、ニューヨークタイムズ紙への寄稿(有料記事)のなかで、コロナ禍で明らかとなった労働者の人権問題について「これは単なる倫理的課題ではありません。危険な労働環境や低い賃金、あるいは国境の封鎖などによって、サプライチェーンを支える人々の暮らしが脅かされるとき、フードシステムの安定性そのものもまた脅かされるのです」とし、サプライチェーンの安定性の観点からも、食の人権問題へと警鐘を鳴らします。

また、今後の感染症によるパンデミック防止の観点から警鐘を鳴らす動きもあります。WHOの新型コロナウィルス対策特使を務めるデイビッド・ナバロ氏は、英国内での感染拡大につながった大きな要因として、劣悪な食品業界の労働環境とそうした環境で働く労働者の低水準な賃金があると指摘。食品業界の生産現場は「感染症が広まるには、"完璧"な環境だ」として、こうした実態の根元にある安価な食品を求める世論の見直しの必要性を訴えます。

気候変動やコロナ禍は、世界各地で社会が抱える様々な格差の実態を白日のもとに晒してきましたが、食の世界も例外ではありません。いま各地で明らかとなりつつある食の生産を支える人々の人権問題に対して、いかに立ち向かうか。それは、単なる倫理的(エシカル)な課題の域を超えた、食品供給の安定性や"Withコロナ"時代の感染症対策でもあることが指摘されるなか、「エシカル」という言葉が持つ意味は徐々に重みを持った、我々ひとりひとりに危機感を与える言葉になりつつあるのかもしれません。

2020年914日執筆

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プロフィール
市村敏伸(いちむら・としのぶ)
1997年生まれ、一橋大学法学部卒業。大学在学中にライター活動を開始し、現在は北海道大学大学院農学院に在籍中。専門は農業政策の形成過程に関する研究。
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