2021年7月 1日

EUファーム・トゥ・フォーク戦略 理想と現実を隔てる課題

北海道大学大学院 市村敏伸

エシカルな食について、いま世界ではどのような話題が盛り上がっているのでしょうか。
一橋大学在学中で、佳い食のあり方を探究する市村敏伸が、海外のエシカルニュースをテーマごとにブリーフィングしてお届けします。今回のテーマは「EUファーム・トゥ・フォーク戦略 理想と現実を隔てる課題」。ニュースのまとめ翻訳に興味がある方は、ぜひリンク先(※英語)をご覧ください。

EUの政策が強く影響か?
注目のみどりの食料システム戦略

今年5月、農林水産省が「みどりの食料システム戦略」(以下、みどりの戦略)を発表し、その内容が農業関係者を中心に大きな話題となりました。

みどりの戦略は、環境やSDGsに配慮した持続可能な食料・農林水産業の構築を目標としたものです。農林水産省のHPによると、今回の策定の背景については「SDGsや環境を重視する国内外の動きが加速していくと見込まれる中、我が国の食料・農林水産業においてもこれらに的確に対応し、持続可能な食料システムを構築することが急務となっています」と説明されています。

このなかで注目したいのが「SDGsや環境を重視する国内外の動きへの対応」という部分です。つまり、この動きの背景には国外での政策動向が強く影響していると考えられます。

事実、「みどりの食料システム戦略」本体のドキュメントを見ると、策定背景の一部として、EUの食料環境政策「ファーム・トゥ・フォーク戦略」に言及しながら、「我が国においても国際環境交渉や諸外国の農業規制の拡がりに的確に対応していく必要がある」と説明しています。

今年9月にはニューヨークで、食料システムの持続可能性を議論する初めての国際会議「国連食料システムサミット」の開催が予定されています。みどりの戦略の策定には、この会議を前に持続可能な食料システム構築への日本のコミットメントを明らかにしたい狙いがあったのかもしれません。

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ところで、このみどりの戦略の具体的内容はどうなっているのでしょうか。

農林水産省の発表を見ると、2050年までに①農林水産業からのCO2排出量ゼロを実現、②リスク換算で化学農薬の使用量を50%低減、③有機農業の取組面積を耕地面積の25%に拡大など、相当に野心的な目標が掲げられています。

特に、上に挙げた②と③については、ちょうど1年前の昨年5月にEUが発表したファーム・トゥ・フォーク戦略(通称、F2F戦略)の数値目標とほぼ同じであり、おそらくこの分野の先進国であるEUの政策を参考にして、今回の数値目標も策定されたのではないかと推察されます。

本連載では昨年5月の発表直後にこのEUのF2F戦略の内容について取り上げました。この戦略では、有機農業の推進を核としながら、2050年までの温室効果ガス排出の実質ゼロを目指す欧州グリーンディールの実現を食料システムの面でサポートすることが期待されています。

しかし、これも本連載では取り上げたように、F2F戦略には発表当初から欧州域内の農家などから「非現実的」との声が上がっており、目標の実現には課題が指摘されています。みどりの戦略がF2F戦略との共通点が多いのであれば、先行するEUが直面している課題を把握することが重要になってきそうです。

有機農業の推進に"待った"
食料安全保障からの危機感

これまでF2F戦略をめぐっては、小規模農家が有機農法を実践するにあたっての財政支援のあり方を中心に議論が交わされてきました。この問題は今もなお、EU内部で検討が続いておりその内容も後ほどご紹介しますが、F2F戦略における有機農業の推進を、食料安全保障の観点から危惧する声も上がっています。

EU大手メディア・ユーラクティブによると、ヨーロッパの穀物貿易の業界団体・CoceralはEUによる有機農業の推進(農業のグリーン化)によって、欧州域内での穀物生産高が大きく減少すると主張しており、穀物の輸入依存が高まることに警鐘を鳴らしています。

Coceralの推計によれば、化学肥料や農薬の使用量が削減されることで、小麦の生産高は現在の年間1億2,800万トンから2030年には1億900万トンまで落ち込むことが予測されています。また、ナタネの収量が減少することで油用種子の輸入が拡大することも予測されており、現在の年間600万トンの輸入量が将来的には1,000万トン以上になるともされています。

農業のグリーン化にともなう食料輸入の拡大と食料安全保障への影響については、昨年11月に米国農務省(USDA)もレポートを発表しています。このレポートではF2F戦略の数値目標に基づいて、農薬使用の50%減、化学肥料の使用の20%減、家畜向け抗菌薬の使用の50%減、既存の農地の10%減を想定し、EU・米国・世界全体の食料動向に与える影響をシミュレーションしました。

その結果、仮にEU全体でこの数値目標を達成した場合、農業生産高は現在に比べて12%減少し、食料価格は17%上昇すると予測されています。

また、EUが農業生産活動の基準を食料の輸入相手国にも求めた場合(下表中のmiddleシナリオ)、食料価格は60%も上昇するという予測結果もUSDAは発表しています。

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USDAが発表した有機農業の推進による食料供給への影響(出典:USDA Economic Research Service

こうしたUSDAによる悲観的な予測については、有機農法技術の今後の向上の見込みを踏まえていない点などが批判されており、特にフランスの国立農業・食糧・環境研究所(INRAE)はこのレポートを「単純な見方で、視野が狭い」と評するなど強く反発しています

しかし、農業のグリーン化が食糧安全保障の不安定化につながるのではないかと危惧されている以上、EUはこうした批判にエビデンスをもって応えていく必要があるでしょう。

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環境保全型農業への支援
予算措置をめぐるEUでの混乱

穀物などの輸入依存が増えることによる食料安全保障上の懸念がある一方、F2F戦略の実効性確保にとって最も大きな課題とされているのが、有機農業を支援する予算確保の行方です。

EUの共通農業政策は通称「CAP」と呼ばれ、2021年以降のCAP予算案をめぐっては、環境保護に積極的な農家への支援が不十分としてグレタ・トゥーンベリさんをはじめ環境保護派が抗議運動を展開するなど、混乱が相次ぎました。

結果、昨年11月からはEU加盟各国の農業担当閣僚から成る理事会と、欧州議会、さらに行政を担う欧州委員会の三者による非公式交渉(トリオローグ)が開かれ、CAP予算策定に向けて協議が続けられてきました。

しかし、優れた環境保全活動を行う農家に支払う「エコスキーム」と呼ばれる補助金の予算枠などをめぐって交渉は難航。今年に入っても状況は進展せず膠着状態が続いてきましたが、6月25日にようやく三者の間で合意が結ばれました

結果的にエコスキームの予算枠は20%〜25%程度は確保されることで決着。しかし、ユーラクティブによると、欧州議会議員からはエコスキームの対象となる活動の定義が曖昧であることも指摘されており、今後も環境保全活動に対する経済支援については混乱が続くことも予想されます。

一般に環境問題への関心が高く、食料システムの政策面でも野心的な目標を掲げているEUですが、その内実を見ると実現への道筋は簡単なものではないことが分かります。みどりの戦略を発表した日本も、今後その目標をいかに達成していくのか。その方法論を示すことが求められそうです。

2021年629日執筆

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プロフィール
市村敏伸(いちむら・としのぶ)
1997年生まれ、一橋大学法学部卒業。大学在学中にライター活動を開始し、現在は北海道大学大学院農学院に在籍中。専門は農業政策の形成過程に関する研究。
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