2020年11月 5日

「小規模農家を支援せよ」EUの野心は実現するのか

北海道大学大学院 市村敏伸

エシカルな食について、いま世界ではどのような話題が上がっているのでしょうか。
一橋大学在学中で、佳い食のあり方を探究する市村敏伸が、海外のエシカルニュースをテーマごとにブリーフィングしてお届けします。今回のテーマは、「小規模農家を支援せよ」EUの野心は実現するのか。ニュースのまとめ翻訳に興味がある方は、ぜひリンク先(※英語)をご覧ください。

#VoteThisCAPdown
グレタさんの呼びかけ

#VoteThisCAPdown、今から2週間ほど前、ベルギー、ドイツ、オランダなどのEU各国では、ツイッターのトレンドにこんなハッシュタグが踊りました。このハッシュタグは、"Vote down"「反対票を投じよう」と呼びかけるもので、その標的となっているのは、「CAP」と呼ばれるEUの共通農業政策(Common Agricultural Policy)です

EUの議会にあたる欧州議会では、先月下旬、2021年以降の7年間のCAP予算案が採決に諮られましたが、これに反対する運動が一部で活発化。反対派のなかでも特に存在感を示したのが、スウェーデン出身の若き環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんでした。彼女は、自身のツイッターに#VoteThisCAPdownのハッシュタグを盛んに投稿し、欧州議会議員やEU各国の人々に対して予算案の承認阻止を呼びかけました。

結果的に、現地時間の先月23日金曜日、議会はこのCAP予算案を賛成多数で承認しますが、今回の波乱含みの農業予算をめぐるEUでの攻防。その背景は一体何なのでしょうか

EU予算の3割を占める
CAP」とは一体なにか?

EU共通農業政策、通称「CAP」は、その予算額がEU全体予算の約3割を占める巨大事業です。単純な比較はできないものの、日本の農林水産予算が全体の約2%ほどであることを考えると、その存在感は際立って大きなもの。この巨額の予算は、主に農家への補助金などから構成されますが、なぜEUではここまで農業保護が重視されるのでしょうか

その背景の1つにあるのが、EUの発足当初、欧州統合の実現には何よりも農家からの合意を取り付けることが不可欠だったことです。現在のEUの前身にあたる欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足した1950年代初頭、フランス、西ドイツ、イタリアなど、各国での総人口に占める農業就労人口は平均して約3割と非常に大きく、欧州統合の推進には農業保護を同時に進めることが求められました。

その結果、EUでは農産物の最低価格保証が極めて高い水準で設けられるなど、農業は手厚く保護され、CAPはある意味でEUの社会保障制度の一部として機能してきたとも指摘されます。こうした農業保護政策は、EUの安定した食料生産に貢献したという面で評価することもできますが、一方で問題点も数多く指摘されています

まず挙げられるのが、手厚い農業保護が結果的に自然環境の悪化を招いたという批判。CAPのもとで最低保証価格での農産物の無制限買い取りを実施されたことで、農業者が過剰生産へと舵をとり、農薬や肥料を大量に使用する環境への負荷が大きい集約型農業が横行することにつながったというものです。

こうした過剰生産の問題に対処すべく、CAPは「直接支払い」と呼ばれる農業者に直接支給される補助金の活用を進めました。現在、CAPでは、この直接支払いが「第一の柱」と呼ばれ、その他の環境保全活動などに対する補助金制度が「第二の柱」とされています。そして、近年では、この2つの柱の双方で、環境保護が重視される傾向にあります。

しかし、CAPに対する最大の批判は、こうした補助金の支払い条件が大規模農家に有利になっており、小規模農家が補助金の恩恵を受けることが難しくなっているという点にあります。直接支払いの支給額の算定方法や、補助金の申請手続などが小規模農家にとって不利に設計されており、事実上、小規模農家がCAPから排除されていると指摘されています。

近年のCAPでは環境保護が重視されているとはいえ、小規模農家へ補助金が十分に行き渡らない現在の制度は、結果的に環境の悪化を加速させる要因となっています。英紙ガーディアンは、欧州における生物多様性の危機を伝える記事のなかで、「環境悪化の責任は集約型農業にある」とし、現在のCAPが、生産コストを抑制するための集約型農業を促進していると指摘します。

野心的な食の政策に求められる
新時代のCAPとは

こうした小規模農家への支援と環境保護の面で不安の多いCAPに、改革が迫られるきっかけとなったのが、本連載ではこれまで何度も取り上げてきたEUの食料政策目標「ファーム・トゥ・フォーク戦略」、通称「F2F戦略」です。今年5月に発表されたF2F戦略でEUは、2030年までの目標として、①農薬の使用とリスクの50%削減、②化学肥料使用量の20%削減、③有機農業耕地面積の25%増加など、非常に野心的な数値目標を掲げており、この実現のためには当然、CAPが大きな役割を果たす必要があります。

なかでも重要なのが、小規模農家が有機農業に取り組むための支援と、環境保全活動への補助金の拡大で農薬や化学肥料の使用削減によって、生産コストが大きくなるなか、いかに零細農家へ補助金などを通じた支援を行うのか。加えて、農業による環境保全活動をどれだけ経済的に支援するのか。今年5月の発表当初から、2021年以降のCAPにこうした部分がいかに盛り込まれるのか、大きな注目が集まりました。

結果、議会に提出され23日に承認された予算案では、「エコ・スキーム」と呼ばれる先進的な環境保全活動への予算枠が設けられるなど、改革が進んだ部分も見られましたが、補助金の算定方法など、CAPの大枠は従来の制度が維持される格好となり、これに対してグレタさんをはじめ、環境保護派は激しく反発しました。

ドイツ連邦議会議員で、環境政党「緑の党」所属のハラルド・エブナー氏は、現地メディアとのインタビューのなかで、「新たなCAPはこれまでと同じ内容ではいけない」とした上で、エコ・スキームの予算額の削減を求めたドイツ農業相らについて、「古い制度を維持することを狙っている」と厳しく批判します。

環境保護と既得権益
揺れるEUの食料政策

野心的なF2F戦略を掲げながら、骨抜きにされてしまった部分も多いと批判されるEUの新たなCAP。この背景で暗躍したと指摘されるのが、大規模農家や農薬メーカーなどの業界団体の存在です。EUでの業界団体などによるロビー活動の状況などを調査するCorporate Europe Observatoryによると、EU最大の農業者団体であるCopa-Cogeca(コパ・コジェカ)は、F2F戦略による農薬使用量の削減目標などに一貫して反対していると伝えられており、こうした業界団体による強力なロビー活動が今回のCAPに関する議論にも大きな影響を与えていると考えられます。

2050年までに温室効果ガス排出量の実質ゼロ(クライメート・ニュートラル)を目指す、欧州グリーンディールを掲げ、食の分野でも野心的な目標を掲げているEUがいま直面しているのが、今回のCAPをめぐる攻防に代表される、既得権益との戦いです。前回の本連載記事「EUに衝撃 代替乳はどう売ればいいのか?」で詳報した、環境負荷の少ない代替食品への表示規制をめぐる議論にも、畜産業界をはじめとした既存産業との対立構造は現れていると言えます。

野心的な食料政策を掲げるEUが、この先、持続可能な食料システムを築き上げることができるのか。これは、今後、「エシカルな食」への取り組みを進めたい日本を含めた各国にとっても注目すべき動向となるでしょう。

2020年113日執筆

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プロフィール
市村敏伸(いちむら・としのぶ)
1997年生まれ、一橋大学法学部卒業。大学在学中にライター活動を開始し、現在は北海道大学大学院農学院に在籍中。専門は農業政策の形成過程に関する研究。
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