2022年4月11日

「食料安全保障の危機だからこそ、有機農業へ」 EUのグリーンな野心の現在地

北海道大学大学院 市村敏伸

エシカルな食について、いま世界ではどのような話題が盛り上がっているのでしょうか。
一橋大学在学中で、佳い食のあり方を探究する市村敏伸が、海外のエシカルニュースをテーマごとにブリーフィングしてお届けします。ニュースのまとめ翻訳に興味がある方は、ぜひリンク先(※英語)をご覧ください。

ウクライナ戦争と経済制裁
食の分野の影響

224日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻が日本でも大きな注目を集めていますが、今回の軍事侵攻で食の世界にも深刻な影響が出ています。

ウクライナとロシアはともに食料供給拠点として非常に大きな役割を担ってきました。例えば、小麦。ウクライナの国旗は青と黄色の2色模様ですが、あの黄色はウクライナに広がる麦畑を表しているとされ、現在でもウクライナは小麦の大産地として非常に重要です。

ウクライナとロシアの両国は、世界の小麦貿易量の約30%、トウモロコシは17%、ヒマワリ油では50%以上を輸出しています。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻以後、こうした食料の貿易は停滞しています。

ウクライナ政府は36日に重要食料の輸出を事実上停止する措置を発動。ロシアからの食料輸出も、西側諸国による制裁の影響で不透明な状況となっており、世界の多くの国で食料安全保障が脅かされる事態となっています。

こうした穀物などの貿易停滞は食料だけではなく、家畜の飼料価格にも影響を与えています。そして、飼料と同じく間接的に食の世界に大きな影響を与えているのが、肥料の問題です。

一般的に化学肥料は窒素、カリウム、リン酸の3つを原料として生産されており、この3つは肥料の三大要素とも呼ばれています。

そして、今回の一連のウクライナ侵攻で問題となっているのは、この肥料原料の貿易の停滞です。というのも、これら肥料原料は世界中どこでも採れるものではなく、化石燃料などと同様に一部の国や地域に偏在しています。

この理由としては、そもそもの埋蔵量が一部の国や地域に偏りがちであること。さらに、鉱山などから採掘する場合、設備投資などに多額のコストがかかるため、新たな生産拠点が開発されにくいことなどが指摘されています。

例えば、カリウムの場合、世界全体の生産量4300万トンのうち、1位のカナダが1400万トン、2位のロシアが760万トン、3位のベラルーシが730万トンを生産しており、この上位3ヶ国で世界全体の約67%のカリウムを生産しています(数値はいずれも2020年のデータ)。

カリウムの最大の生産国はカナダですが、注目したいのはカナダに続いて生産量の多いロシアとベラルーシの両国が現在、西側諸国による制裁の対象となっている点です。ベラルーシは20215月に発生した旅客機強制着陸事件などの影響で、EUなどからすでに制裁を受けており、今回のウクライナ侵攻でもロシア軍に出撃拠点を提供したことなどを理由に厳しい経済制裁の対象となっています。

EU32日にベラルーシからのカリウム輸入を全面的に停止する措置を発動します。また、内陸国のベラルーシは、カリウムなどを輸出する際に隣国リトアニアのクライペダ港を使用していましたが、EU加盟国であるリトアニアは、ベラルーシによるクライペダ港の使用を禁止しており、ベラルーシ産の肥料原料は全世界的に入手しづらい状況となっています。

そして、カリウムに加えて、窒素系の肥料原料も多く輸出するロシアも、当面の間、肥料原料の輸出を停止するよう政府が国内の事業者に呼びかけており、現在、肥料価格は世界的に高騰しています。

日本でも肥料価格の高騰が深刻な問題となっており、すでに自民党の対策チームでは価格高騰対策に関する議論が本格的に始まっていると報じられています。

それでも有機農業の推進か?
EUで巻き起こった議論

食料・飼料・肥料と、食の分野での物資不足が世界的に深刻になるなか、各国はこの危機にどのように対応しているのでしょうか。

日本だけでなく、すでに世界中の各国が対策に乗り出していますが、この連載として特に注目したいのは、やはりEUの動向です。

すでにこの連載では繰り返し取り上げているように、EUはファーム・トゥ・フォーク戦略と呼ばれる食料政策の基本方針のなかで、有機農業の大幅な拡大を目標に掲げ、目標達成に向けた取り組みを加速させています

しかし、有機農業の推進を支持する声がある一方で、有機農業による生産性の低下の問題も強く指摘されており、計画通りに目標達成を目指せばEUの食料安全保障が脅かされるという意見も根強くあります。

そんななか、EUが直面したのが今回の一連の危機です。EUは輸入する穀類の約3割をウクライナから輸入し、ロシアからは飼料原料などを輸入しています。さらに、域内で消費するカリウムの85%を輸入に依存しており、そのうち27%はベラルーシから輸入しています。ウクライナ戦争と一連の経済制裁によるEU農業への影響は少なくありません。

この事態を受けて、EU3月2日に緊急の農業大臣会合を開催。そして、この会合終了後、欧州委員会(EUの行政府)で農業政策を担当するヤヌシュ・ヴォイチェホフスキ委員は会見のなかで「食料安全保障が危機に瀕することになれば、ファーム・トゥ・フォーク戦略の目標を見直す必要がある」と発言し、場合によってはこれまでEUが掲げてきた有機農業に関する目標などを改める構えを見せました。

そして、ここからEUの内部で従来の戦略方針を見直すべきかという議論が巻き起こります

加盟国ではフランスやスロバキアが戦略見直しに積極的な動きを見せ、大規模農業者のロビー団体であるCOPA-COGECAなども方針の見直しを求めました。

一方、これに強く反対したのが、現在のEUの最重要政策指針「欧州グリーンディール」を担当しているフランス・ティメルマンス欧州委員会上級副委員長です。欧州グリーンディールとは、現在の欧州委員会のトップであるウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長のもとでEUが進めている基本政策方針であり、2050年までに温室効果ガスの実質排出ゼロを目指すものです。

ファーム・トゥ・フォーク戦略は欧州グリーンディールに対応した食料政策であり、ティメルマンス氏は「この危機にあってこそ有機農業などを推進するファーム・トゥ・フォーク戦略の重要性が証明される」と主張します。これは一体どういうことでしょうか。

"再び"偉大になるか
EUの野心の価値

現在、世界各国が食にまつわる資材などの確保に苦心していますが、これはそもそも、農業に必要な肥料や飼料を外国から輸入していることが原因の一つです。一方、EUが進めようとしている一連の改革は、有機農業などを推進することで輸入が必要な化学肥料などに依存せず、なるべく農業や食に関するサプライチェーンを短くしようとするものです。

すなわち、現状の輸入への依存度が高い農業から脱し、安定した食料生産を実現するための手段こそがファーム・トゥ・フォーク戦略の掲げる理念であり、この戦略は「問題」ではなく、むしろ「解決策」である。従来の戦略方針の堅持を訴えるティメルマンス氏はこう主張しました

一連のウクライナ危機で食の分野での深刻な物資不足に直面するなか、EUが掲げる「グリーンな食料システム」の実現に向けた目標をどう捉えるか。結論として、EUはこれまでの戦略目標を維持し、むしろこれまで以上にこの目標を重視する姿勢を示しました。

3月11日にEUは首脳会談を実施し、ベルサイユ宣言と呼ばれる共同声明を発表。そのなかに「重要な農産物や資材の輸入依存度を下げることによって、EUの食料安全保障を向上させる」という文言が盛り込まれ、食料安全保障の観点から従来の方針をさらに加速させていく考えが示されました。

こうしたEUの状況について、一部メディアなどは「EUのグリーン重視の政策に新たな価値が加わった」と評しています。

これまでファーム・トゥ・フォーク戦略をはじめ、EUのグリーンディール政策は環境や持続可能性の価値に重きをおいたものと考えられてきました。しかし、今回の一連のウクライナ危機によって、グリーン化を進めることで様々な分野での輸入依存を減らし、経済的な安全保障を確立できるという認識が広がっているためです。

米メディアのポリティコはこの状況を「Putin made the Green Deal great again」(プーチンはグリーンディールを"再び"偉大なものとした)と指摘しています。環境に加えて、安全保障としての価値が加わったEUの野心の今後にも注目しつつ、翻って日本も、今回のウクライナ危機を将来の食のあり方を考える機会とすべきではないでしょうか。

2022年4月4日執筆

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プロフィール
市村敏伸(いちむら・としのぶ)
1997年生まれ、一橋大学法学部卒業。大学在学中にライター活動を開始し、現在は北海道大学大学院農学院に在籍中。専門は農業政策の形成過程に関する研究。
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