2022年5月30日

ウクライナ侵攻で加熱する バイオ燃料をめぐる議論

北海道大学大学院 市村敏伸

エシカルな食について、いま世界ではどのような話題が盛り上がっているのでしょうか。北海道大学大学院在学中で、佳い食のあり方を探究する市村敏伸が、海外のエシカルニュースをテーマごとにブリーフィングしてお届けします。ニュースのまとめ翻訳に興味がある方は、ぜひリンク先(※英語)をご覧ください。

長引くウクライナ侵攻の影響で
世界の穀物市場が高騰へ

224日に始まったロシアによるウクライナ侵攻ですが、3ヶ月近く経った今なお、沈静化の見込みは立ちません。最近では、ウクライナからの穀物供給の停滞による世界的な食料危機への懸念も盛んに報道され始めました。

ここでウクライナ侵攻による世界の食料事情への影響を簡単に整理してみたいと思います。

まず何よりも、今回のウクライナ侵攻で深刻なのは、世界有数の食料輸出大国であるウクライナからの穀物輸出が大きく停滞していることです。農水省の食糧安全保障月報によると、2020年にウクライナは全世界での小麦貿易量の9%、トウモロコシ貿易量の12%を輸出しており、通常、ウクライナからの食料輸出はウクライナ南部の黒海沿岸の港から行われます。しかし、ロシアによる侵攻開始後、黒海のウクライナ周辺はロシア軍により海上封鎖されており、通常の港を使った輸出ができない状態にあります。

世界の穀物市場におけるウクライナの存在は非常に大きいため、ウクライナからの輸出停滞は世界的な食料インフレに直結します。その結果、今年3月の世界の食料価格は過去最高値を記録しました。ここで心配されるのが、食料インフレの"負の連鎖"です。世界的な食料価格の高騰は、特に発展途上国などの比較的貧しい地域で大きな問題となります。そうすると、一部の発展途上国は国内に供給する食料を確保するために、自国からの食料輸出を制限し始める可能性があるのです。

そして、現在、この負の連鎖は広がりを見せつつあります。4月末には、食用油として重要なパーム油の世界最大の輸出国であるインドネシアが、食用油の全面的な禁輸措置を発動しました。さらに513日には、小麦の大産地であるインドも小麦の輸出を制限する措置を発動しており、世界的な食料不足の傾向はますます加速するおそれもあります。

さて、こうした食料、とりわけ穀物の供給が世界的に停滞するなか、ヨーロッパでは穀物の"使い道"をめぐる議論がにわかに盛り上がりを見せています。今回は、このヨーロッパでの議論の動向をお伝えします。

環境負荷の少ないバイオ燃料
食料と競合する可能性も

ヨーロッパで議論されつつある穀物の使い道に関する問題は、決して目新しい話題ではありません。トウモロコシなどの穀物が、バイオエタノールとして燃料になることは多くの方がご存じのことでしょう。バイオ燃料はもともと、1970年代の石油危機を受けたエネルギー安全保障対策の一環として登場したものでありますが、現在では自動車ガソリンとして主に使用され、全世界の運輸部門での消費エネルギーの3%はバイオ燃料によるものとされています。

バイオ燃料の消費が拡大している背景にあるのは、環境問題への懸念です。バイオエタノールなどは燃焼させると、化石燃料と同じく二酸化炭素を排出しますが、原料となる植物が成長の過程で光合成によって二酸化炭素を吸収しているため、結果的に二酸化炭素の排出は相殺されます。このカーボン・ニュートラルと呼ばれる性質によって、バイオ燃料は環境負荷の低いものとして米国やEUなどで推進されています。

一方で、本来食用となるはずであったトウモロコシなどの作物を燃料として利用するため、食料との競合が以前から懸念されていました。つまり、バイオ燃料に利用される農作物が増えると、食料価格が上昇してしまうのではないかという懸念です。バイオ燃料には、トウモロコシのほか、小麦や大豆なども利用されています。現在、ヨーロッパで起こりつつある議論とは、穀物の供給が安定しないなかで引き続きバイオ燃料の原料として農作物を使い続けるべきかという問題なのです。

「穀物は食べるべき」
ドイツはバイオ燃料を制限するか?

EUは環境負荷の少ないバイオ燃料の普及にこれまで力を入れてきました。EU2030年までに運輸部門で消費されるエネルギーの最低3.5%をバイオ燃料でまかなう方針を打ち出しており、ヨーロッパでは毎日1万トンの小麦がバイオ燃料として利用され、この小麦の量はパン1500万個分に相当するとされています。

しかし、ウクライナ侵攻開始後、ヨーロッパでも穀物価格は大きく上昇しました。EUの統計によると、20223月のEU域内での小麦価格は、前年同月と比較して60%から80%ほど上昇しており、トウモロコシ価格も同じく60%近く高騰しました。こうしたなか、バイオ燃料として使用する穀物を削減すべきとの声が強くなり始めています。

2014年までEUの行政府にあたる欧州委員会で環境行政の責任者を務めていたヤヌス・ポトチュニック氏は、5月6日付の地元メディアへの寄稿のなかで「我々はエネルギーのために食料を燃やすことをやめなくてはならない」と指摘し、食料確保を最優先すべきと主張しました。もっとも、このような食料との競合の観点からバイオ燃料を批判する動きは、これまでも一部で見られていました。しかし、今回のウクライナ侵攻を受けた状況では、ドイツ政府が実際にバイオ燃料の生産制限を検討し始めているとも報じられています。

EUメディアのユーラクティブは52日、ドイツ政府内部で、農作物を原料とするバイオ燃料の生産を制限する案の検討が進んでいることを報じました。

この計画を明らかにしたのは、緑の党所属のシュテフィ・レムケ環境大臣で、同じく緑の党所属のチェム・エズデミル農業大臣と連携して、政府内で検討を進めているとされます。レムケ大臣は「農地には限りがあり、ウクライナ侵攻で明らかになったように、我々は食料を必要としている」とコメントし、農作物を可能な限り食料にまわすことを目標に、バイオ燃料の生産を制限すべきとの考えを示しています。ドイツでは耕地の5%がバイオ燃料用の作物生産に使用されているとされ、最大与党SPD所属のスベニャ・シュルツ開発大臣も、このバイオ燃料の生産制限に賛成する意向を示しています。

このドイツ政府の計画については今後、交通当局などとの折衝が行われるものと見られますが、すでにバイオ燃料の業界団体などはこの計画に強く反発しています。

これまで環境面で望ましいとされてきたバイオ燃料を、食料安全保障の論理によって規制するべきというドイツでの議論ですが、これは前回の本連載で取り上げた「有機農業 vs. 食料安全保障」の議論と似た構図を持つ課題です。環境保護の重視はEUの政策原則でありますが、足下での食料の安定供給が不透明になるなかで、環境保護の"規範"に揺らぎが生じています。環境保護に強い意気込みを見せてきたEUが、このウクライナ侵攻にともなう動揺をいかに乗り越えるのか。その動向が引き続き注目されます。

2022519日執筆

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プロフィール
市村敏伸(いちむら・としのぶ)
1997年生まれ、一橋大学法学部卒業。大学在学中にライター活動を開始し、現在は北海道大学大学院農学院に在籍中。専門は農業政策の形成過程に関する研究。
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