2021年1月20日

英 ゲノム編集作物の利用拡大へ 増える規制緩和国

北海道大学大学院 市村敏伸

エシカルな食について、いま世界ではどのような話題が上がっているのでしょうか。
一橋大学在学中で、佳い食のあり方を探究する市村敏伸が、海外のエシカルニュースをテーマごとにブリーフィングしてお届けします。今回のテーマは「英 ゲノム編集作物の利用拡大へ 増える規制緩和国」。ニュースのまとめ翻訳に興味がある方は、ぜひリンク先(※英語)をご覧ください。

持続可能性に資するゲノム編集
遺伝子組換えとは何が違う?

英・農業当局の環境・食糧・農村地域省(通称Defra)は今月7日、ゲノム編集によって品種改良した作物や家畜についての規制緩和を進める方針を発表し、この件に関するパブリックコメントの募集を開始しました。

ゲノム編集とは、ゲノムと呼ばれる生物の遺伝情報の特定の部分を切断したり、切断したところに別の遺伝情報を組み入れたりする技術のこと。昨年のノーベル化学賞は、このゲノム編集の手法である「CRISPR-Cas9」(クリスパー・キャスナイン)の開発者らが受賞しており、それに関する報道をご覧になった方も多いかもしれません。

このゲノム編集技術を農作物や家畜の品種改良に利用する研究は近年盛んに行われています。日本でも、ジャガイモの芽の部分の毒素をゲノム編集によって無くした「毒のないジャガイモ」を開発した大阪大学の研究などが有名です。

こうしたゲノム編集は遺伝子組換えとは別の技術で、遺伝子組換えが外から新たな遺伝子をゲノムに挿入する一方、ゲノム編集はあくまで元からある遺伝子を切断し、遺伝情報を変更するというのがポイントです。先ほどの大阪大学の研究を例にとると、ジャガイモの芽に含まれるステロイドグリコアルカロイド(SGA)という有毒物質について、ジャガイモの生体内でこのSGAを合成する遺伝子を切断する。そうして無毒化されたジャガイモを作り出すというわけです。

ゲノム編集は気候変動に対応できる作物の開発や、世界的な人口増加にあわせた食糧増産のために活用が期待される技術で、農林水産省もその有用性を説明しています。

しかし、遺伝子組換えの安全性に懸念があるのと同様に、その安全性について現段階では検証が不十分との意見もあり、この規制にあたり、各国はゲノム編集の有用性と安全性への配慮とのバランスをとった慎重な判断を迫られています。

前置きが長くなりましたが、ここで冒頭の今回のイギリスでの動きについてです。英政府は今回、農畜産物分野でのゲノム編集の規制を緩和する方針を発表したわけですが、この背景にはEUからの英の離脱、いわゆるブレグジットが大きく関係しています。そして、ここにゲノム編集の規制問題の難しさがよく現れているのです。

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安心を求めるEU
科学を求めるイギリス

昨年末に移行期間が終了し、正式にEUを離脱したイギリスですが、EUは農畜産物のゲノム編集について厳しい規制を敷いています。EUでは遺伝子組換え作物(GMO)を栽培する場合、欧州食品安全機関(EFSA)の承認と各国独自の承認の双方が必要となりますが、ゲノム編集作物についてもこれと同じ規制が適用されているのです

この規制は2018年の欧州司法裁(最高裁に相当)による裁定に基づくものです。欧州司法裁の決定には農業界などから規制が厳しすぎると批判の声が上がり、イギリスでも、EUから離脱した暁にはこの規制を改正すべきと一部の国会議員らが主張していました

そして、今月7日、英当局のDefraが、ゲノム編集作物をGMOとは区別して取り扱う方針を正式に発表。Defraのユースティス大臣は、ゲノム編集作物をGMOと同一に扱うEUの規制について「科学的に息苦しい」と苦言を呈した上で、「英国は現在、科学と証拠に基づいて首尾一貫した政策決定を自由に行うことができる」とコメントし、EUとの立場の違いを強調しました

欧州での厳しい規制の背景にあるのは、世論のなかで根強くある、「フランケンフード」とも呼ばれる遺伝子組換え食品へ強い抵抗感です。英紙ガーディアンは、「魚の遺伝子を組み込んだトマト」などのセンセーショナルな遺伝子組換え食品が、ヨーロッパの人々に強い負のイメージを与え、それがEUでのゲノム編集作物への規制にもつながっていると指摘します。

ゲノム編集をめぐって、消費者ベースの「安心」を重視するEUと、その有用性を重視して科学的な議論を求める英国。この両国の立場の違いに、ゲノム編集をはじめ「食の科学」の規制のあり方の難しさが浮き彫りになっていると言えるでしょう。

日本・アメリカ
各国の規制動向は

では、日本を含め、他の各国はゲノム編集作物をどのように扱っているのでしょうか。

結論から言えば、イギリスと同じく、ゲノム編集を遺伝子組換えとは明確に区別して対応するケースが世界的にはスタンダードになりつつあります。

日本遺伝子組換え作物を「カルタヘナ法」と通称される法律で規制していますが、20192月、環境省はゲノム編集作物のうち他の生物のDNAを導入していないものについてはカルタヘナ法の規制外とする方針を発表。遺伝子組換え食品のような安全性審査は不要という方針を採用しています。

米国でも2018年3月に農務省(USDA)が、外来遺伝子が残存していない場合、ゲノム編集作物は遺伝子組換えの規制対象外とする方針を発表しています。一方、家畜については食品医薬品局(FDA)が管轄しており、これまでFDAはゲノム編集家畜について遺伝子組換え動物として規制する方針を打ち出していました。

しかし、昨年12月、この家畜の所管が食品医薬品局(FDA)からUSDAに移り、USDAが一括してゲノム編集農畜産物を担当することに。これによって今後、米国では本格的にゲノム編集家畜の規制緩和が進む可能性も指摘されています。

また、オーストラリアや南米諸国も、基本的には日本や米国と同じく、外来遺伝子が残存していない場合は遺伝子組換えの規制対象外としています。一方、ニュージーランドはゲノム編集を遺伝子組換えとして規制しており、各国でその対応は分かれていますが、現在のところ規制緩和国が多数派であると言えるでしょう。

気候変動が年々厳しさを増し、人口も世界的に増加していくなか、ゲノム編集は持続可能な農業や畜産業の実現を加速しうる技術であるといえますしかし、国としてこの技術を受容するにあたっては、その安全性について国内世論も踏まえた難しい対応が求められます。

日本では現在、ゲノム編集に強い規制はかけられていません。しかし、今後ゲノム編集の役割がさらに大きくなることを踏まえれば、EUの慎重な対応なども参考にしながら充実した国内での議論を進めることが求められるでしょう。

2021年114日執筆

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プロフィール
市村敏伸(いちむら・としのぶ)
1997年生まれ、一橋大学法学部卒業。大学在学中にライター活動を開始し、現在は北海道大学大学院農学院に在籍中。専門は農業政策の形成過程に関する研究。
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