2020年8月20日

【後編】みんなで考えよう、マグロの未来

フードジャーナリスト 佐々木ひろこ

日本一のマグロ産地をめざす、長崎県壱岐市の勝本漁協。昭和30年代には網で使う漁法を全面禁止に。一本釣りで豊かな海の恵みを平等に分け合うという精神が代々受け継がれている。2013年、減り続けていたマグロを守ろうと立ち上がった壱岐の漁師たちだが、以降も厳しい環境にさらされている。高品質なマグロを生み出してきた日本中の沿岸マグロ漁師たちが、もしこのまま廃業し続ければ、近い将来おいしいマグロを食べられなくなってしまうのだ。
文・撮影・佐々木ひろこ 写真提供・壱岐市マグロ資源を考える会 編集・神吉佳奈子

海にやさしい、マグロの一本釣り

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マグロを引き上げる前後の一連の処理の腕とスピードが、マグロの味を決める。撮影・岩中正幸

「壱岐とは水温が違うけんね、大間のマグロは腹の厚さが違う。20年ほど前に初めて見た時はたまげたん。悔しいてねぇ」

「壱岐市まぐろ資源を考える会」の副会長、尾形一成さんが、一本釣り本マグロの産地として名高い青森県の大間を訪ねた当時を振り返る。目尻のしわを深くしながら話す様子は、悔しいと言いながらむしろ楽しそうだ。

「魚の個体では負けてるばってん、そんなら勝本は『魚の処理』と『思い』で勝負しよう、とみんなで話したん。大間より処理ば頑張らないかんけん、高値がつくマグロはどんなもんか、神経締めの方法はどうか、交代で築地に視察に行って研究しました」

なるほど、悔しくないのはきっと、自分たちで解を見つけた自負があるからだろう。勝本の漁師には、海の上での共通の流儀がある。まず、仕掛けにかかったマグロはすぐには引き上げない。パニック状態で暴れ、体温が上がった魚を落ち着かせるため、糸が切れないよう竿のリールを絶えず調整しながら数時間でも泳がせるのだ。マグロの気持ちに添って辛抱強く待ち続け、やっと興奮が静まった頃に一撃で失神させる。傷をつけないよう引き上げたら、すぐに血を完全に抜いて独自の神経締めを行う。最後に内臓をはずしてから、氷を使って一気に身を冷やしこむ。波に揺れる小さな船上で、これらを素早く確実に、そしてていねいに行う技術を皆で研究し、研鑽を重ねてきた勝本の漁師としての自負(プライド)だ。

「壱岐・勝本 一本釣りマグロ」は
漁師の誇り

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仲買い人がマグロのの良し悪しの判断基準とするのが、尾の断面。そのために一番大事なのが船上での血抜きだという。水揚げされた後、「勝本一本釣りマグロ」のシールが張られて出荷される。

「勝本は(一本)釣りしかやらんの。網は禁止。海に無理をかけんのと、みんなが平等に息長く獲るには釣りが一番やけん、ずうっと昔に釣りだけにしようと全員で決めたんよ」

事務所の壁には、「壱岐・勝本 一本釣りマグロ」のブランドを高らかにうたうポスターが掲げてある。何百、何千ものマグロの群れの中に仕掛けを下ろし、魚との全力の知恵比べの末、餌に食いつく一本を釣り上げる釣り漁は海に負荷をかけにくい。

漁師にとっては漁の効率が悪い分、一尾ずつ付加価値をつけて高値を生み出さなければ生活できない。勝本の漁師たちはずっと海とともに生きるために、魚を最高の状態に仕立てる処理の技術を追求し、支え合い、力を合わせて壱岐のブランドを築いたのだ。

けれど、マグロの持つポテンシャルを最大限に生かし、海にとっても漁師にとってもこの上なくサステナブルなこのスキームは、肝心の海が豊かでなければ成立しない。マグロの母数が激減したたことで極端に釣れなくなった今、漁師の生活が成り立たなくなっているのが現状だ。

産卵期マグロの自主禁漁も行った

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マグロが釣れないためスルメイカ漁をする会長の中村稔さん。ただし光源用ライトなど、魚種転換のために大きな設備投資をしたにも関わらず、スルメイカも不漁で苦境が続いている

「マグロが海におらんなか、わずかな漁獲枠を調整して釣るのはほぼ不可能です。母マグロが卵を産んで、魚が増えてくれんと...もう近く船を降りるかもしれんね」(尾形さん)

「僕を含め遊漁船(釣り船)の商売を始めた仲間もいますが、皆この先も漁師を続けたいから必死で踏ん張ろうとしているんです。でも本当は、昔のようにマグロ漁で生活したい」(広報担当の富永友和さん)

会の漁師たちは2015年から3年間、まずは自ら範を見せようと、産卵期マグロの自主禁漁を行った経緯がある。産卵のため南からやってくるマグロの群れは、壱岐・対馬の海を通って北上し、鳥取沖の産卵場に向かう。地元の漁師にとってこの時期の漁は大きな収入源だったにもかかわらず、母マグロの卵を守ろうと約1,000人の一本釣り漁師全員が、6月、7月に成魚を釣らないと自主的に決め、実行したのだ。けれど残念ながら、身を削る3年間を経ても、彼らの声は国に届かなかった。

マグロ資源を考える漁師を
応援するために

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漁師たちが集い、上下の関係なく活発に議論している「壱岐市マグロ資源を考える会」の事務所。ときに海の未来を考える料理人たちが訪ね、漁師たちと意見を交わすことも。鮨職人の杉田孝明さん(中村さんの左)もその一人。

この問題は、何も壱岐だけにとどまらない。このままの状況が続けば、日本が誇る高品質のマグロを生みだす沿岸マグロ漁師たちが、各地でどんどん廃業してしまうのは確実だ。今後遠くないうちに、本当においしい国産マグロが食べられなくなる可能性だってある。日本のキラーコンテンツである鮨や、無形文化遺産である和食の高い食文化も、まき網マグロだけでは到底維持できないのだ。

おいしい国産マグロをこれからもずっと食べ続けるためにも、私たちは海の声に耳を傾け、漁師や流通の現状を知り、国の水産政策にきちんと目を向けて、海の未来を考えるべき時ではないだろうか。

折しも会を立ち上げた目的は、「考える」ことだったと中村さんは穏やかな声で説明する。

「(マグロの持続的で継続的に利用のあり方について)本当にみんなで考えたいと思っちょるんです。マグロは日本人全員にとって大事な魚やけんね。まき網の人、沿岸(漁業)の人、水産庁の人、都会(まち)の人、海の人......日本人みんなが真剣に話して一緒に考えてみたら、いい解決策ば見つかるんやないかと思うんです」

そして最後に、少しだけ嬉しそうな声で続けた。

「そんでもし、マグロば戻ってきたら......俺はずっと漁師ばしてたかねぇ。年を取っても船に乗って、毎日沖へ行きたか。やっぱり漁師やけんね、海と一緒にいたいんさ」

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プロフィール
佐々木ひろこ(ささき・ひろこ)
食文化やレストランをメインフィールドに雑誌等に寄稿するフードジャーナリスト。2017年にChefs for the Blueを創設し、後に社団法人化。代表理事として東京のトップシェフ約30名とともに海洋資源の保全に向けた啓蒙活動に取り組み、様々なイベントを実施している。
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