2020年8月 8日

環境といきもの、そして地域農業と生産者を支える飯尾醸造のお米造り

グッドテーブルズ代表 山本謙治

飯尾醸造のエシカルなお酢造りについての短期連載、今回は飯尾醸造の根幹とも言えるお米造りにスポットをあてる。なぜお酢屋が米づくりにこれだけ力を入れるのか。なぜ無農薬の米づくりを追求するのか。なぜわざわざ、日本でもっとも高いクラスの原料米価格を生産者に支払っているのか。その背景には、やはりそれが飯尾醸造なのだな、と納得せざるを得ない理由があるのだ。

びっくりするほど高価な原料米価格の理由

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JAS規格では1リットルにつき40gのお米を使用すれば「米酢」と表示できるが、飯尾醸造の純米富士酢は1リットルにつき200g、じつに規格の5倍量のお米を使用している。ただし、注目すべきはその分量だけではない。そこで使用されているお米がどんなものなのか、が大事なのだ。

飯尾醸造五代目の飯尾彰浩君が就農塾というセミナーに入会し、毎回のように丹後半島の宮津から通ってくれたことは以前に書いたとおりだ。その頃、自然食品店や、当時ちらほら出つつあったオーガニック商品を並べるスーパーなどで必ず棚にあったのが富士酢だったわけだが、その中身については彰浩君の話しをきくまで知らなかった。

とにかくおどろいたのが米酢の原料となるお米についてだ。就農塾では米づくりのレクチャーもあったのだが、そこでも無農薬や減農薬(当時の呼び方だ)の米づくりについて触れ、どうしても農薬使用量を低減しようとすれば、価格は高くせざるを得ないという話題が出ていた。

「そういえば、飯尾君の富士酢は無農薬の米を原料にしているよね。一俵いくらくらいで仕入れているの?」

「はい、今年は2万8千円で契約させていただいています。」

というやりとりで、講師陣はみな「えっ、、、」と目を見合わせたことを覚えている。

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飯尾醸造でお酢のもととなるもろみ(つまり酒)の寒作りの時に大切に吸水されていた原料米。

平成17年のその当時、全国平均のコメ価格は一俵あたり16000円程度だ。当時、同じように無農薬で栽培したとしても、高くても2万3000円程度で取引しているケースが多かったと思う。それを5000円も超える、ちょっと考えられない価格だ。

「そんな価格だったら、全国の農家さんが『うちのコメを使ってくれ!』と殺到するんじゃない?」

「あ、うちは地元である宮津市から丹後半島の範囲内の農家さんからしかお米を買わないんですよ。みなさん高齢の方が多く、また無農薬で栽培していただくのは手間がかかりますから、当然のことだと思っています。」

もう、絶句である。おそらく集荷範囲を全国とすれば、原料米の価格はもっと下げることができるだろう。ところが彼らは目の届く範囲の、よく顔を見知っている生産者さんとしか取引をしないのだ。

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飯尾醸造が守りたいもの、それは宮津の美しい海を望む棚田の風景なのかもしれない。

もともと無農薬米を使用するという贅沢なお酢造りは、飯尾醸造3代目である飯尾輝之助が昭和39年に始めたことだ。昭和30年代の日本といえば高度成長期、景気が上昇していく時期だったが、環境汚染の問題が問題視される時代でもあった。農業の世界では、悪名の高い農薬DDTをはじめ、毒性の強い農薬が使用されることが多かった。農薬には毒性の強い順に毒物・劇物・普通物があり、現代では毒性の低い普通物が使われることが多くなった。しかし当時は毒物や劇物が多く、稲作でも日常的に使用されていた時代だ。

様々な昆虫やドジョウなどの魚に恵まれた宮津の田畑から生き物の姿が消えていくさまをみて、輝之助さんは「こんな田んぼで作ったものを食べたら、身体がおかしくなるんとちゃうか。こんなコメから酢をつくっとったらあかん!」と感じたらしい。そこから輝之助さんは宮津の農家を廻り、「無農薬でコメを作って欲しい」と頼み込んだ。当時、無農薬や有機といった農法への理解は皆無といってよい状況であり、仕込みに使用できる量の無農薬米を確保できるまでに2年かかったという。

こうして始まった、地元産の無農薬米を原料としたお酢造りが4代目、5代目へと受け継がれているわけだ。

考えるのは、農家の手間と苦労を減らすこと

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飯尾醸造の蔵人は初夏から秋までは文字通りの農業者となる。自分達が管理する棚田にて。

1970年代に有吉佐和子の「複合汚染」によって環境汚染が社会問題化し、農薬や化学肥料を使用しない有機農業が勃興したわけだが、その技術も進歩している。1970年代には、とにかく堆肥を入れればよいのだというように雑ぱくな技術で有機・無農薬を実践している農家も多かったが、現代の有機農業は有機肥料の使い方、作物への効かせ方も驚くほどに進歩している。

ただ、無農薬の米づくりについていえば、その苦労の根本はあまり以前と変わらない。その最大の要因が夏の除草である。田植え後、稲以外の雑草を繁茂させないように管理し、グングン成長する夏場の高温期に稲が雑草に負けないようにしておくことが理想だ。しかし現実にはそううまくいくものではない。ヒエなどのイネ科雑草から、多年生で毎年繁茂する雑草などが発生し、そのままにしておくと肝心の稲の生長が阻害され、収穫が半減してしまうこともあるのだ。だからこそ、飯尾醸造のコメ買い取り価格はとても高いのだ。

ただし農家の高齢化は進んでおり、買い取り価格を高くするだけでは負担を強いる無農薬栽培を続けてもらうことは難しい。そこで、飯尾醸造は無農薬の米づくりの負担を減少する取り組みを行い続けてきた。4代目となる飯尾毅が「ふくしゃちょう」と呼ばれることになった経緯は前回書いたとおりだが、そのようにさまざまなメディアの情報を収集していたのはひとえに、農家の労力を減らす技術を探してのことだった。

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稲刈り中、ふと見上げるとそこにはあたりまえのように4代目の毅さんが作業をしていた。

「これはいいかもしれない」という技術をみつけると、生産者を連れて見学に行き、宮津でもできないかと実験する。前回、カブトエビを飼育していたエピソードを書いたが、それもこの一環だ。無農薬のコメ栽培のために試した栽培技術はビニールマルチ農法、再生紙マルチ農法、液体マルチ農法、再生紙直まきマルチ農法、カブトエビ農法など、、、

「現在は、契約農家さんの約半数が再生紙黒マルチ農法を使用しています。これは、田んぼに黒い紙でできたシートを敷き、その上に苗を植えていく方法です。紙はゆっくりと溶けていくため、稲が雑草に負けやすい時期の雑草の繁茂を抑えることができます。また、黒い紙を用いるため日光を浴びて熱を持つため、稲の生育が促進されるのです。これによってだいぶ農家さんの手間を減らすことができるようになりました。」

それでも、マルチを敷くための作業が必要であり、また雑草もまったく出てこない訳で葉無いため、慣行栽培に比べると無農薬栽培のハードルはまだまだ高い。

「契約農家数はどんどん減っています。20年前には27人の生産者さんがいてくれたのですが、10年前には20人。現在は13人となってしまいました。」

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いまや飯尾醸造の棚田での田植えと稲刈りは、リピーター顧客達が殺到する「絶対に参加したいイベント」となっている。

こうしたことから、飯尾醸造では離農する生産者の棚田を自分達で維持することを決めた。冬の間に酒造りをしていた蔵人たちが、夏場は作業着に着替えて田の草取りをするのだ。いまでこそ、日本酒の世界では蔵人自身が原料となる酒米を栽培するという取り組みが行われるようになってきたが、調味料の世界で飯尾醸造がこのようなことをしてきたのは異例中の異例と言ってよいだろう。

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米袋には「京都米」と書かれているが、中身は地元・宮津産のお米。その価格はいまも無農薬米で国内トップクラスだが、それが飯米になるのではなく、お酢の原料になるというところがすごいことだ。

なお現在の飯尾醸造のコメ使用量は、年間で55~60トン。コメの買取価格は一俵あたりコシヒカリが30,400円、酒米品種だとじつに35,400円となっている。日本でもっとも高いレベルの原料米仕入れ価格といってよいのではないかと思う。しかもこれに加えて、先の紙マルチは飯尾醸造が農家に支給し、また残留農薬検査の費用も半分を負担している。

そこに消費者にとって聞こえがよいから無農薬をやる、という浅はかな思慮はみじんも感じられない。飯尾醸造は自分達がお酢造りをする地域の環境といきもの、そして地域農業と生産者を持続させていくために、無農薬の米づくりを支えているのである。

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プロフィール
山本謙治(やまもと・けんじ)
1971年愛媛県生まれ、埼玉県育ち。
学生時代にキャンパス内に畑を開墾し80種の野菜を栽培。大学院修士課程修了後、大手シンクタンクに就職し、電子商取引と農畜産関連の調査・コンサルティングに従事する。その後、花卉・青果流通のワイズシステム(現・シフラ)にて青果流通部門を立ち上げ。2004年グッドテーブルズを設立。農業・畜産分野での商品開発やマーケティングに従事。その傍ら、日本全国の佳い食を取材し、地域の食材や食文化、郷土料理を伝える活動を続けている。2009年より高知県スーパーバイザー・畜産振興アドバイザーを受任。2019年には土佐あかうし「柿衛門」のオーナーとなる。
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