2020年5月 8日

原点は、1964年から続く無農薬の米づくり 【飯尾醸造 第5回】

スープ作家 有賀薫

次に向かったのは、飯尾醸造の日本酒蔵。ここでは酢の材料となる、純米酒が仕込まれています。一般的に食酢メーカーがつくる食酢は、数日間で生産される速醸の酢。対して飯尾醸造は、棚田で自ら米を作り、自蔵で米麹をつくり、天然醸造で酒から酢をつくります。日本で唯一の一貫造りの酢蔵。これがまさにエシカルの王道をいく造り手であるといえる点なのです。

文・有賀薫(スープ作家) 撮影・柿本礼子 編集・神吉佳奈子

無農薬の米で仕込む
お酢屋の日本酒蔵

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早朝、酢蔵から車で10分ほどの場所にある、飯尾醸造の酒蔵にやってきました。朝8時、酒蔵では米を蒸す作業がすでに始まっていました。大きなこしきで蒸しあがるのを待って、蔵人たちがもうもうと湯気を立てる酒米をベルトコンベヤーへと移していきます。

蒸した米を冷ましながら麹菌をふりかけ、麹室(こうじむろ)へ運びこみ、2日間かけて麹を繁殖させるのです。続いて仕込み部屋のタンクへ、出来上がった米麹、水、酒造用の7号酵母、蒸し米を投入して、スターターとなる酒母(しゅぼ)を仕込み、もろみをつくります。

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自家精米して洗い、浸水した米をこしきに入れて蒸す。麹に使う米は酒造好適米の五百万石、掛米はコシヒカリを使っている。

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こしきからスコップで酒米を掘り出し、箱へ。麹づくりには蒸し米に種麹をふりかけて、温度が40度になるくらいまで冷ます。

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麹室の中へ運ばれた蒸し米は、山に盛り上げて布で包み保温。麹菌が繁殖していくと、温度が上がるので昼夜手入れを行い、米麹をつくる。

仕上げに加える甘酒で
「富士酢」の奥行を醸す

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これぞ美しい手仕事の現場。塵一つなく、隅々まで清掃の行き届いている仕込み部屋には、清らかな空気が漂う。

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ちょうど蒸米を投入していた酒母(しゅぼ)のタンク。毎日櫂入れをして発酵を促し、酒母が完成するまで約2週間、さらに約30日発酵させてアルコールを生成する。

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日本酒の造り方は一般的に三段仕込み。三回に分けて酒母に蒸し米と水を足していくが、「富士酢」は何と四段目に甘酒を加える。なんとも贅沢な日本酒に仕上げるのだ。

湯気のこもる作業場から、ひんやりした仕込み部屋へ移ると、そこではもろみが静かに醸されていました。3回に分けて蒸米を足しつつ発酵を進めていきます。酢の醸造が「静」であれば、酒の醸造は「動」。大きなタンクに仕込まれた発酵中のもろみは、ぽこ、ぽこっと動いています。

酢に使う酒は飲むためのものではなく、あくまでも酢を作るための原料。四段目にさらに甘酒で甘みと旨味を足し、これを酢の味につなげます。搾りたての酒は甘みが強く、フルーティ。アルコール度も高く、強さを感じました。

1964年にはじまった
無農薬の米づくり

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五代目の彰浩さんは、醤油、みりん、酒、かまぼこ、お茶の担い手と共に「HANDRED」を結成。伝統食を次代へ伝える活動も続けている。http://handred.net/

国内の食酢メーカーのほとんどが数日間で生産される速醸の酢をつくるなか、すべての工程を徹底して自蔵で手がける理由はひとつ。「人に任せれば安全でないものが混ざるから」。

この「無農薬の米で酢を作る」という思いは、昨日今日に始まったことではありません。50年以上の歴史があるのです。それは三代目の飯尾輝之助さんが、酢を使う人たちの健康を考えての決断でした。1964年のことです。

当時は高度成長期、農薬が大量に使われていた時代。「環境保護」、「安全」は、周囲の理解を得られません。渋る農家を説得し、たった2軒からスタート。2年がかりで完全無農薬の米づくりにこぎつけます。そして、「安全な米で作った安全な酢」は作ったそばから売れていきました。

これを引き継いだ四代目の飯尾毅さんは、農家に対して農機具を譲渡したり、省力化できる農法を研究するなど、共に米づくりに取り組んできました。米を通常のおよそ3倍の値段で購入し、農家へ多大なサポートを続けてきたのです。ひたすら地域のためにという心が強い結びつきを生み、飯尾醸造の酢を支えています。

風景をつくり、人をつなげ、
エシカルな酢をつくる

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蔵人が管理している、蔵から車で40分ほどの棚田。仕込みが終わり、春になると田を耕し、苗を植え付け、来年の酢づくりがはじまる。(撮影・山本謙治)

毅さんは、17年前から米づくりが続けられなくなった棚田を借り、酒の仕込みが終わった蔵人たちと共に、米づくりをはじめました。五代目彰浩さんが受け継いで新たにはじめたのは、消費者を招いた体験会。

春は田植え、秋には稲刈りと、遠方から毎年200人もの人が訪れて美しい風景を楽しみ、棚田は米づくりを体験する場所になっています。

今回の取材、蔵人たちの表情が明るく、おだやかであったのがとても印象的でした。棚田の美しい風景を守ることが、安全な米になり、酒になり、酢になって食卓へと運ばれ、それらがまた宮津を活性化させる。人の営みの循環が起こっているのです。米や酒や酢を作ることにとどまらず、人を巻き込んだエシカルな連鎖を作り出していることが、働く方たちの顔にも表れているのかなと感じました。

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飯尾醸造

京都府宮津市小田宿野373
電話 0772-25-0015(8:00~17:00)
FAX 0772-25-1414
https://www.iio-jozo.co.jp/
商品はオンラインで取り寄せ可。月曜から土曜、蔵見学受け付けあり。見学時間は9:00~11:00、13:15~16:00 詳細はホームページまで。お申し込みは上記まで。

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プロフィール
有賀薫(ありが・かおる)
受験生だった息子の朝食にスープを作りはじめたことをきっかけに、365日毎朝のスープをSNSに投稿。旬の野菜を使ったシンプルなレシピが反響を呼び、書籍化に。「スープ・レッスン」(プレジデント社)に続いて、『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(分響社)などのレシピ本を手掛け、ライター業から転身。スープ作家として、実験イベント「スープ・ラボ」のほか、テレビや雑誌などで活躍の場を広げている。
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