2020年3月14日

"山地酪農を広めたい" −−世界に通用するチーズを目指す若き職人の、熱き想い

日本大学大学院 生物資源経済学専攻 伊藤野百合

山地(やまち)酪農とは、起伏の多い急傾斜地を生かし、日本の風土をこよなく愛する自然の在り方に沿った農法です。

岩手県田野畑村で、吉塚農場と熊谷農場の2戸の酪農家が営む田野畑山地酪農。そこから産み出される牛乳は、一年中、乳牛を山に放ち、主に乳牛の生きる力により、自然の営みの中から産出された牛乳です。
「フリー・ストールどころじゃない、フリー・マウンテン!」
そんな自然な酪農で生きる人々の姿をお伝えします。

田野畑山地酪農シリーズ、第1回目は、世界に通用するチーズづくりを目指す、若き職人。「milk port NAO」の吉塚雄志(ゆうし)さんです。

文・撮影:伊藤野百合

総飼養戸数に占める割合が2.3%の放牧酪農
その中でも更に稀少な山地酪農

盛岡市から約100km2時間以上かけて、バスは山道を登っていく。足跡ひとつない雪原。凍りついた湖。氷の彫刻のような針葉樹林。右に左にハッとするほど美しい風景が広がり、退屈することがない。

終点の龍泉洞に到着。お迎えに来て下さった「吉塚農場」の経営主、吉塚公雄さんの車に乗せて頂き、さらに奥へ、田野畑村に入る。整備された道路が凍てついてきた。

30分ほど走ったところで急に視界が開け、放牧地が広がった。田野畑山地酪農を営む農場の2軒のうちの1軒、吉塚農場に到着したのだ。

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ここ田野畑では、吉塚農場と熊谷農場の2軒が山地酪農を営んでいる。酪農生産は個々の農場で行い、牛乳や乳製品の製造や販売等を株式会社として共同で行っている。
熊谷農場は1973年から前経営主の故・熊谷隆幸さんが、吉塚農場は1977年から現経営主の吉塚公雄さんが、山地酪農を開拓した。

日本の状況を見ると、2017年の都府県において、放牧酪農を営む農家の数は総飼養戸数のわずか2.3%(農林水産省(2018)「公共牧場・放牧をめぐる情勢」生産局畜産部飼料課:11-12より)。その中でも山地酪農は更に稀少な存在だ。

ところで田野畑山地酪農では、吉塚家の四男、雄志さん(25歳)が、2軒の農家の牛乳を使った乳製品工房「milk port NAO」の工場長として、株式会社の加工部門を担っている。今回は雄志さんにお話を伺った。

チーズを作ることで
山地酪農を世界に広めたい

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―吉塚農場さんは、1977年から千葉から田野畑に移住された公雄さんが開拓者ですね。それから43年を経た現在、農場は2015年から吉塚家のご長男、公太郎さんが継承されています。飼っている牛はホルスタインの血を引いた雑種で、頭数は搾乳牛が17頭、育成牛が15頭。現在、放牧地面積は22ha, 採草地は村内各地に22haを借地しています。
田野畑山地酪農が株式会社化したのは2009年6月。そして2017年に「milk port NAO」は開設されました。雄志さんがヨーグルトやチーズ、バターなどの加工部門を担うようになったのですね。

そもそも、雄志さんがチーズ職人を目指すようになったご理由を、お聞かせ頂けますでしょうか?

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中学1年生の時、母が更年期障害で寝込んでいて。食事の準備をする人がいなくて、自分がすることになりました。
学校が終わり、部活もほぼしないで家に帰り、支度をしました。最初は何もやったことがないので大変で。段取りも悪く、料理も美味しく作ることができなくて。
でも、何ヶ月かするうちに、料理本を見ていろいろ作るようになり、それと同時にだんだん美味しいと言われるようになりました。そして、いつの間にか料理をすることが楽しく思えていました。

高校生の時、真剣に将来のことを考え始めました。父は、自分を酪農家にしたかった。もちろん牛は可愛いし好きだけど、動物を365日、責任を持って扱う自信が自分にはなかった。

そう悩んでいた時、乳製品の勉強をしていた一番上の兄に「一緒に作ってみるか?」と言われ、ヨーグルトやチーズを作ってみたことがあって。出来上がった乳製品を食べた時に、すごく美味しいと思えたんです。様々な工程を経て、牛乳が変化していく様子が面白く、楽しかった。そこから何度か自分で作っているうち、ヨーグルトを一人で作れるようになりました。

そのうち「作っていて楽しいし、美味しい物をここの生乳から作ったら、その製品の味から山地酪農に興味を持ってくれる人が出てくるのではないか?」と思うようになって。北海道の方が作っている本格的なチーズを食べたことも「自分もこのような、世界に通用するようなチーズを作りたい!」と思うきっかけになりました。

自分がここで乳製品を作ることによって、会社にとっての利益だけを目指すのではなく、山地酪農を進めて広める手段となると考えてます。発酵物、とりわけ"チーズ"は、世界の"食"と多くの共通点を持っています。発信や表現の方法は様々あると思いますが、自分はこのチーズで山地酪農を世界に伝えられるのではないかと考えています。

―雄志さんはどこでチーズ作りを学びましたか? また、目指されている味はありますか?

自分がチーズを食べて衝撃を受けた酪農家にお願いをし、1年間研修させて頂きました。とても厳しく、嫌になる事もありましたね。そんな時は、いつも原点を振り返り乗り越えました。本当は3年間は研修したかったのですが、家の事情で1年間の研修後、田野畑に帰りました。

でも最初の2年は乳製品にはほぼ触れず、酪農の仕事をしていました。自分はこのままずっと、酪農の仕事を続けるべきなのかと考えて。自問自答を繰り返すうちに、成功するかは分からないけど、たまにヨーグルトを作った時に、研修前より明らかに美味しく作れている事を思うと、一歩進みたい気持ちが自分には強くあることに気がつきました。父も同じことを考えていました。そうして、2017年に自社乳製品工房「milk port NAO」を開設しました。

旬の牛乳の味を生かし、
支えてくれた人への感謝の気持ちを忘れずに

―「milk port NAO」で製造される乳製品は、「田野畑山地酪農牛乳」のショッピングサイトのほかに、岩手県内の道の駅や百貨店、また、関東でも人気があり、東京にある「銀河プラザ」をはじめとした店舗でも購入ができます。
現在は、工房でどのような種類の乳製品を作られているのですか?

ヨーグルト、チーズ、グラスフェッドバターを作っています。チーズは、現在は白仙・モッツァレラチーズの2種類です。

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(写真:田野畑山地酪農牛乳株式会社 HPより)

―チーズやヨーグルト、バターを製造する上で一番大切にしていらっしゃることは何でしょうか?

いかに旬の牛乳の味を生かすことができるか。あとは、支えてくれた人への感謝の気持ちってのは忘れないで作ってます。

―田野畑山地酪農によって生み出される生乳は特別だと思いますが、だからこそ製造する際に特に苦労されること、逆に楽しいと思うこと、やりがいを感じることについて教えて下さい。

季節によって味が変化することで、毎回同じような、同じようには出来ないんだけれど、自分が求めている美しい形のものや、舌触りが滑らかであるものが作れないことがあるんです。酸味とかチーズ中の水分量も違ったりしてしまったり。
季節によって感じ方が変わってくるので、これに対応できるようにすれば、それなりに同じようなものが出来るし、そして季節の変化をしっかり感じてもらえると思っています。

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(写真:吉塚雄志さんご提供)

ヨーグルトに関しても、何カ月も徹夜で見てたりとかしながらやって、現在のようなヨーグルトが作れるようになって。でもまあ、そこがやっぱ面白いところで、色々分からないことが分かってきたりとか、その乳製品の特徴だったりとかっていうのを理解し始めてきたときとかが、もう楽しくて。
頭では分かっていたけど、改めて、温度、湿度、原乳に合った乳酸菌と量、工房内の調整の重要性を感じてます。乳酸菌って、牛より難しい生き物かもと感じることもあります()

そして、作ったものを直接お客さんに届けることができる、ありがたさ。そして美味しいねって言葉を直接もらえたり、直接意見をもらえるっていうことかな。毎週配達をしてる時に言ってもらえるのがほとんどだけど、発送した方からも、わざわざ振り込み用紙に書いてくれたりとかするので、そういうのが本当にありがたいですね。大変な時でも頑張る気持ちになれますね。

―雄志さんが乳製品作りにおいて目指していることは何ですか?

季節によって生乳の味が変わるので、乳質や味を感じて、温度や工程を変えていけるようにすること。あくまでも個人的な考えだけど、それが出来れば、舌触りや余韻の感じ方が変わると思っています。
形も不格好ではなく、見て美しいと思えるような物を作ることですね。

試飲したお客さんの表情で、
牛乳の持つ力を信じられる

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(写真:吉塚公雄さんご提供)

―田野畑山地酪農牛乳株式会社では、牛乳や乳製品を生産者さん自身によって対面販売することも大きな特徴です。今年(2020年)1月には盛岡の川徳百貨店で、三陸のこだわりの商品が並ぶ「りあすぱーくマルシェ」にも出品されました。3日間で、1日平均200~300人のイベント来場者がブースにいらっしゃったと伺っております。
このようなイベントなどで対面販売することに、雄志さんご自身としては、どのような意味を感じていますか?

山地酪農を知ってるか知らないかは別として、牛乳を試飲していただいた時の、お客さんの反応っていうのがね。もう嘘つけないから。顔に出てしまうんですよね。その表情を間近で見ることが出来ること。そのびっくりした顔を見るたび、自分は牛乳が持っている力を信じて、乳製品を作って大丈夫なんだって思えます。

あとは、自分は結局まだ乳製品作りの職歴が短くて、全然、「職人」の「しょ」の字にもなっていないようなもんだけど、牛乳が美味しいお陰で、今の段階でさえ、お客さんに美味しいって思ってもらえるような乳製品が作れているなと実感できること。もうこれは完全に、牛乳の味を信じて良い結果が出てると感じています。

―田野畑山地酪農における加工部門での、今後の展望や課題について教えて下さい。

自分が最終的に作りたいチーズっていうのは、長期熟成のチーズなんです。フランスにはコンテっていうチーズがあるけど、そういうハードチーズを作りたいですね。海外でも通用するようなものを作りたいという目標もあります。

会社として考えた時は、もちろんそれだけでやっていけないのは分かってる。だからまず、今どんどん年齢層が上がっていて、牛乳を飲む人が少なくなっていたりとかっていうのを考えた時に、乳製品をもっと飲んだり食べたりしてもらえるような仕組みを作らないといけないと思っています。商品のバリエーションを増やして、営業をして、加工数を増やす。いくら作っても注文待ちぐらいのものを作れたらいいなと。

あとは、岩手がそもそもチーズを食べるっていう習慣がないので、チーズのイベントみたいなのもできたらいいなって思っています。それを、まずは田野畑からやっていけたらいですね。自分のチーズに限らず、チーズって美味しいものなんだよっていうのを伝えるためにも、チーズに触れる機会を増やしたいです。

「一番自信を持って売れる、どこにもない商品」
milk port NAOのチーズが世界へ

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(写真:吉塚雄志さんご提供)
「白仙」は酵母を使ったフレッシュタイプ。原乳を調達➔殺菌➔乳酸菌添加➔レンネット➔モールディング➔反転➔加塩➔熟成➔パックの工程で作られる 。

―「milk port NAO」で製造しているチーズのひとつ、「白仙(2,300円/1ホール)」が、全国から優れた食材を発掘する大会である『にっぽんの宝物グランプリ(同実行委員会主催)』に2019年に初出場しましたね。

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(写真:吉塚雄志さんご提供)
審査員には、まずはカットした「白仙」をそのまま食べてもらい、次にセミドライフルーツと合わせて食べてもらう。そして「白仙」と蒸したサツマイモのサンドを、最後にはトーストしたハードパンに、熟成した白仙をつけて。

ー「にっぽんの宝物」プロジェクトは、2009年に始まった民間主導の事業者支援プロジェクト。アクティブラーニングセミナーで地域の事業者が学び合い、年に一度の各地域グランプリを競うものですね。地域グランプリ勝者は、国内グランプリ、さらに海外グランプリに挑みます。「白仙」は、昨年12月3日の岩手県大会では「スイーツ・新体験」部門でグランプリ、同月14日に東京で開催された、10地域から47社が集まった全国大会では「最強素材」部門で準グランプリを獲得しています。「白仙」で出場した経緯を教えて下さい。

牛乳の味を一番表現できている、どこにもない商品で出場したいと思い、「白仙」で出場しました。
もともと「にっぽんの宝物グランプリ」に出た理由としては、賞を取る、っていうのが目標じゃなくて、出ることで一人でも多くの方に山地酪農をアピールできるかな、と感じたからです。

シンガポールで開催される『にっぽんの宝物グランプリ』世界大会にも出場できることになりましたが、あんまりグランプリを取る取る...って方向で考えるんじゃなくて。世界で自分たちが山地酪農を広められる場を設けてもらえた、っていうくらいの気持ちで、リラックスしていこうかなと。あんまり考えると...緊張しちゃう(笑)

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「農業であれ、酪農であれそれが人間の真の豊かさへ向かっていなければならないのだ」。
山地酪農の創設者である植物生態学者の故猶原恭爾博士は言った。

"フリー・ストール"であることは勿論、"フリー・マウンテン"という、日本において究極の酪農法とも言える山地酪農。それを広めたいという雄志さんの熱い想いや、"お客さんに絶対に嘘を付きたくない"という意思の強さが、父・公雄さんと重なる。

フリー・ストールとは、牛をつながずに、自由に歩き回れるスペースを持った牛舎の形態のことです。ストールはパイプなどで1頭ずつに仕切られていますが、どのストールでも自由に出入りして休息できるため、フリーストールと呼ばれています。これは、個々の牛の休む場所が混み合わず清潔に保たれ、敷料が少なくすむ、給餌場を休息場内に設けられるなどの 利点があります。
(出典:「畜産大事典」)

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(写真:くがねの牧・志ろがねの牧ご提供)

田野畑山地酪農の広大な放牧地や、のんびりとニホンシバと四季折々の野草を大自然の中で食む牛たち。そしてその農法が産み出す牛乳の味。

その山地酪農や牛乳の持つ価値と、自分の将来、父の想いと真摯に向き合い続け、田野畑山地酪農の生乳から、乳製品作りをする道を選んだ雄志さん。

そして雄志さんが作る乳製品の味の根底には、中学生の頃、"母を支え、家族に美味しい料理を作りたい"と奮闘した優しさがあるように思える。それはこれからもきっと変わることはないのであろう。ヨーグルトを一口食べれば思わず顔と心が綻ぶ。チーズを食べると優しい気持ちになってしまうし、バターをコーヒーに入れて飲むと笑顔がこぼれる。世界の共通点としての"食"、そして一番身近な幸せと笑顔の理由としての"食"ということを、食に対する不信が少なからず存在する私たちの社会に、雄志さんの作る乳製品は思い起こさせてくれるのではないだろうか。 

乳製品への飽くなき探究心と、世界に通用するチーズを作りたいという職人魂。雄志さんが作る乳製品、それらに込められた想い、味の奥行きは、"人間の真の豊かさ"へと私たちを向かわせてくれるのではないか、と思わせてくれる頼もしさがある。

yamati1-8.png田野畑山地酪農牛乳株式会社
   milk port NAO(工房)
田野畑山地酪農牛乳株式会社ショッピングサイトから取り寄せ可。岩手県内の道の駅や百貨店、関東では東京「銀河プラザ」をはじめとした店舗で購入可能。甘みと濃さが口いっぱいに広がって、それでいて後味スッキリの「田野畑山地酪農牛乳」は700円/1L。乳製品は、「やまちヨーグルト」450円/300g600円/450g、「白仙(山地ダブルクリームチーズ)」2300円/1ホール、モッツァレラチーズ1000円/100g、「グラスフェッドバター」3500円/100gなど。いずれもサイトからの購入価格で内税・送料別。牛乳も乳製品も、日本シバを中心とした50種類以上自生した四季折々の野草をふんだんに食べた牛の生乳により、季節によって異なる味わいを楽しむことができる。

【山地酪農実践農場】
●熊谷農場
 岩手県下閉伊郡田野畑村村長根54
●吉塚農場
 岩手県下閉伊郡田野畑村蝦夷森161-3
【工房】
milkportNAO
 
岩手県下閉伊郡田野畑村蝦夷森161-15

電話での問い合わせ:0194-34-2725
メールでのお問い合わせ:info@yamachi.jp
公式HPhttp://yamachi.jp/
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プロフィール
伊藤野百合(いとう・のゆり)
2020年3月に日本大学生物資源科学部を卒業し、大学院では生物資源経済学を専攻。「生物多様性を支える農や食」について興味を持ったことをきっかけに、在学中のゼミでは岩手県で実践されている放牧酪農、「田野畑山地酪農」について研究を行う。グッドテーブルズアルバイト。自然の中でのびのび育った牛のおなかのにおいと手触りが好き。
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